日本人女性のしなやかさ

海外に住んでいたときに毎日のように感じることは

「女性が、強い」

ことでした。

 

フランスに住んだことがある私は、

外から見た華やかさと、また、内実や実情のギャップに

タジタジしつつ、女性の強さと美しさに驚きつつも、

我の強さ、という点ではかなり辟易した記憶もあります。

 

日本女性も、時代とともに多くの変化をたどり、

あるいは時代の変化から強いられて来た生活スタイルや人生のチョイス、

自由な面と水面下の見えないところでの葛藤や苦しみも

きっとあることでしょう。

 

私が学んだことを少しだけここでシェアさせてもらいます。

 

外にでて思ったことは、

日本人女性って芯が強くて、しなやかなんだな。

知らないうちに社会の中にある依存心と、

女性性の育ち方がかなり比例しているんだな。

美的センスや繊細さはすごいな。(語彙)

 

などというところでした。

ただ、その反面上に書かれたことは長所でもあり、

同時に短所でもあるわけです。

 

ただ、私のように共学で公立の学校で育って来た人間は

外国人と触れ合うこともほとんどなくて、

日本人のアイデンティティについて考えたことは

それまでありませんでした。

 

日本人女性は素晴らしいんだな。

日本の文化ってすごいんだな。

美しさをたくさん宿している素晴らしい伝統があるんだな。

 

と、同時に、

 

はっきり自分の意見が言えない。(言葉化することの抵抗)

距離感がはっきりしていない。(ノーが言えない)

全体性(私、より、相手)を重んじる。

 

 

などはこちらではほぼありえないことでした。

 

 

 

なんにせよ、女性の我がすごい(笑)

社会システムの中に、女性を応援するものも多く、

はっきり言葉に出すことで、結構自立していける。

それは、よいところとして映りました。

 

例えば、女性だけで食事やカフェに行く。

その中でも

話し上手だったり、話題提供が上手な人

に対して

聞く人、上手に相槌を打つ人、

が割と別れたり、数人いるとその中で

特定の誰かとは仲良いけれど、人が多い時は聞く役。

など見えない役割分担があることが多い、気がします。

(状況によって変動あるかと思いますが、一例として)

 

それに対して、

私!私!

なんなら他の人が喋って居ても同時に喋る。

同じテーブルで二人、三人が同時に話して居て

これ、誰が聞いてるの・・・?

という状況も珍しくはなくて。

 

話を膨らませてドラマティックに楽しく話し上手な人が多いとも言えるし、

自己主張が強い人たち、とも言えるし、

人より自分、があからさまな人たちとも言えます。

(ただ注意なのは↑は自分軸とも違います)

 

でも、逆に、

なんでも言葉にして言えばいいのか。

 

言わずもがな、相手を察したり、相手を思ったり、

なんでも言葉にする、ディスカッションする、

私が、私は〜こうです。これが欲しいです。

と自分を表現することがまず第一。

 

日本では、空気を読む、

読めない、ということが話題になったりしますが、

空気を読むって何?どんなこと?という場面には

こちらではほぼ、出会いませんでした。

 

日本人ってとっても素晴らしい器を持ってる。

ただ、それが生かしきれていないのが、社会システムや

価値観や、その他諸々なのかな、

(残念だな)とも思います。

 

そして私はきっと、日本人らしい、

おとなしい方の人間だったこともあり、

その状況に自分を合わせていき、

自己主張をしていくのはとっても

疲れてしまったのです。

 

日本が嫌だな、と思っていたところが、

逆に離れてみたら、良いところだったんだ、と

肚に落ちたときがありました。

 

日本人(男性もね)って

本当にかっこよくて、謙虚で、いい意味でも真面目で

誠実で、優しさがあるのですよ。