トラウマとインナーチャイルドを超えて私の人生を生きる-2

トラウマとインナーチャイルドを超えて

 

前回、イントロ的に降ったこのテーマの続きです。

 

潜在意識とインナーチャイルドについて

 

インナーチャイルドとは、自分の中にある古い記憶や体験から出来上がった、

潜在意識だったり、幼い頃上つけられた考えと思い込みをなかなか手放すことのできない、子供のような存在(意識)と意義づけられます。

 

スピリチャル業界では、インナーチャイルドのことを、

癒やされていない子供=インチャと呼んだりしています。

結局、縛られている古い考えや感情や、

ショックが強い出来事などから来る(トラウマ的体験)パターン思考など、

1人で克服していくにはなかなかハードなテーマたちです。

 

私は、スピリチャルにどっぷりハマっていた期間がありましたが、

今ではそこからは出て、スピを否定せずとも、もっと俯瞰して視点から

物事を考えられるようになってきました。

私の場合、自分の力を信じられなかったり、不条理な出来事が続き、

その世界に身を置くことで居場所を見つけることがその時は必要だったのかもしれません。ただ、生きていて見えない世界はあると思っているので、偏ることなく、何事もバランスなのだと今では思っています。

 

自分の人間関係のパターンや、失敗を振り返って、なぜ同じパターンを繰り返してしまうんだろう、と思うことってありますよね。

それが、潜在意識からくる、自分でコントロールできないことだと気がついてはいましたが、どうしたら改善できるのか。嫌なパターンを避けることができるのか。

ということは長年不可抗力であり、私の人生は運命づけられているのだと、環境や親を恨んでもいました。

 

私の場合、感情的になる人が大嫌いなのに、惹きつけられてしまうということが自分のトリガーでした。しかも、感情的になるというのは、怒り、突然キレる、自分のことをコントロールできないタイプの人やそういうサイクル持っている人に対して、私がどうにかしないといけない、と責任感と罪悪感を感じることをどうしようもなくなってしまうのです。自分ではその感情を止めることができず、私が悪いんだ、と終わりなく自分を責め立ててしまう、泥沼にハマってしまうのです。

 

それがどこからくるのか、については分かっていましたし、自分の生育歴が深く絡んでいることも意識上では理解していました。ただ、その状況になってしまうと、周りになんと言われても、問題のあるポイントしか見えなくなってしまうのです。

 

自分のそういう部分のせいで、何度人間関係をダメにしたか、

自分を傷つけ、人を傷つけてきたか、失敗を繰り返したかわかりません。

 

でも、分かってもなお、自分を傷つける衝動を抑えきれない。

なぜ生きているのか。こんなきつい思いをしてまで生きる理由は、思い当たりません。

 

そういう人生のサイクルを生きていました。

トラウマという症状が自分に当てはまる、ということが

本当の意味で腑に落ちる時までは、トラウマというのは自分ごととしても

考えることができませんでした。

 

次回に続きます。

 

今日の一冊

 

赤ずきんとオオカミのトラウマ・ケア

 

トラウマについて、噛み砕いて易しく説明されている一冊。

今トラウマできつい最中、という時に読み始め、少しずつ読み進めて

落とし込みました。

今辛いという方にもお勧めです。

 

 

 

トラウマとインナーチャイルドを超えて、私の人生を生きる(シリーズ1)

潜在意識の正体ーなぜ私たちは「同じパターン」を繰り返すのか?

私たちは日々「なぜこんなことをしてしまうんだろう?」

「また同じことで落ち込んでる…」

と、自分に疑問を抱くことがありますよね。

 

実は、そうした行動の背景には「潜在意識」の働きがあるとされています。

 

顕在意識(自分で認識できる意識)は全体のごく一部で、(5%とも言われてます)

多くの判断や反応は無意識――つまり、潜在意識に基づいていると言われています。

 

しかもこの潜在意識は、

幼少期の体験によって形成される部分がとても大きく、意識して変えることは難しいとも言われています

 

親からの言葉、態度、家庭環境、学校での経験や人生の大きなイベントや出来事など・・・

 

無意識のうちに刷り込まれた「思い込み」や「感情のパターン」が、

大人になった今も私たちを縛っているのです。

 

今回から数回に分けて、トラウマや潜在意識を乗り越えて

自分の人生を取り戻そうとした体験エッセイをシリーズでお届けします!

 

よろしければ読者登録して、またぜひ続きを読みにきてください。

秋冬の感染症について

2024年の秋から冬にかけての話を少しだけ書きます。

抵抗のある方は、どうぞこの記事はスルーしてください。

 

2020年から始まった、世界的に「流行った」あの感染症のことです。

2024年夏になり、その話をよく聞くようになりました。

 

ご存知のことはもうとっくに知っておられると思いますが、

この秋から、日本のみに先行的に、

(という名目で)感染症のためのお注射が始まることになっています。

(最新では9月20日開始と聞いております)

 

内容などを確認したい方は、詳細は協賛している大手企業のホームページなど

ご確認ください。

 

現時点で確認できている

協賛大手企業名称(敬称略します)

 

明治製菓ファルマ

富士フィルム

RICOH

AJINOMOTO

KAO 

AJC

 

詳しいことはこちらを検索してみてください。

 

 

このお注射、レプリコンワクチンと呼ばれていて、

mRNA製剤 自己増殖型(最新型と謳われています)であり、

一度打つと体内で成分が(終わりなく)増え続けると言われているそうです。

科学的説明は難しいのですが、元来のお注射とは働き方が全く違うのは

読んでいて感じます。

 

そして、増え続けるということは、打ったご本人だけではなくて

周りの方にも影響が出るということのようです。

 

私は科学は全くのど素人であり、説明も下手なことこの上ないため、

まだよく知らなかったという方がこれを見てくださっていたら、

説明に関してはそれが上手な医師、科学者の方のサイトや動画などを

是非とも、検索して見て、読んでいただきたいのです。

 

私は恐怖感を煽りたいわけでは全くありません。

どうするかの判断は人それぞれするのが当然だと思うのですが、

知識を取らなかったために、後から後悔する方が、私の周りでもいらっしゃり、

もう少し早くに話しておけばよかったと思ったことがありました。

 

政府は、感染症は来る、という流れを作っているように見えますが、

コロナ自体、海外では「終わっている」扱いとなっていますし、

流行っているものが日本だけ特別に強い菌というわけでもなく・・・。

 

私が断言したり色々言っても

説明が下手すぎて自分でも苦笑してしまうところもありますが、

周囲の知人友人に話しても、知らない方の方が多いようでした。

もしも、大事な方やご家族や、お子さんや、パートナー、

あなたご自身の健康のために、迷っておられる方がいらしたら、

情報を色々持っておくのは選択肢が増えることですし、

私も日々、様々な分野の方のソースに触れるようにしております。

(医療ジャーナリスト、医師、国際ジャーナリスト他、

無料のメルマガを出しておられる方も多いです)

ぜひ、時間をとって色々調べたり、本を読んだりしてみて欲しいのです。

 

私自身、実際自己免疫疾患や他にも不調、アトピーや喘息など持ってきたのですが

今回のこれは、打ってからの解毒が厳しそうだと感じております。

もちろん、何もなければもうそれはそれに越したことはございませんので、

何もいうことはありません。

 

ここには世の中的な内容のものを書いても意味ないだろうなと

迷ったのですが、でも、もしも迷ったりしている方が仮に読まれたら、

という可能性を考えて投稿することにしました。

 

 

(なお、こちらに関して陰謀論などのコメントはお控えくださいますよう

お願いいたします。

こちらで議論する目的では全くございません。

それでもそう言った書き込みがあった場合、

削除させていただきますので、ご了解ください。)

 

 

発達障害の激増??

 

ここ数年、私の周りでは発達障害の話題を日常的に耳にすることが増えました。

 

子供の発達障害

ADHD、ASD、グレーゾーン、

パーソナリティー障害 etc...

 

急ですが私の経験。

フランス在住の頃、レストランで働きながら

ピアノとソルフェージュを出張でレッスンして回っていました。

生徒数は10人〜30人くらいで、小さな学校にも務めていました。

 

まだその頃は、発達障害という言葉は聞いたこともないような時期でしたが、

日本に比べて、子供専門の精神医学やカウンセリングが多くあり、

実際そのような施設やクリニック、医療機関が存在しています。

 

当時個人で行っている日仏家庭のお宅に、小学校低学年の男の子がいました。

パリの北部、妹が生まれたばかり。

お母さんがフランス生まれの日本人(親が日本人カップル)で

お父さんがフランス人の両親なので、ハーフ(ダブル)といえど、

文化は完全にフランスそのもの、といって良い雰囲気のご家族でした。

 

優しいお兄ちゃん、という感じの男の子、

少しぽーっとしていて上の空になることがよくあったのですが、

学校もあってレッスンもとなったら

疲れていても当然なので、私はあまり気にしていませんでしたが、

お母さんは気にされているようでした。

 

2年目に入ったとき、

様子が変わった気がして、

そのお母さんのママ友である私の知り合いに、

Nくん、どうしたんだろう、と疑問を投げかけたところ、

子供専門の病院に行ったところ、今でいう発達障害(多動症)だと言われ、

服薬を始めたと聞いたのだけど・・・ということを聞きました。

 

その時私は、その子に服薬するような動機を感じていなかったため、

その子の状態と通院が結びつかなかったのですが、

お母さんから聞いたわけではなかったので、

そうなのですね、といって終えました。

そしてその後しばらくして、

集中力が続かなくなってしまったので、という理由で

そのお子さんはレッスンを辞めてしまいました。

 

 

実は遡って私自身が、小学生の低学年で

家庭の事情で引っ越し、転校、家族の環境の大きな変化があり、

当時おそらくとても落ち着きがなく

注意散漫な子供時代を送っていたことがありました。

 

そして教える立場であった自分が、

もう少し、その男の子と心からの会話をすることが

できていたらよかったのにな・・・と

今でも時々思い出すことがあるのです。

 

私の場合、転校した後数年間、

学校にも家庭の中にも、居場所を見つけることが難しく、

新しい小学校で環境に馴染めず、転校生ということで悪目立ちしてしまい、

また、陰湿ないじめで苦しい思いをしていて、

落ち着かずにしょっちゅう動いていた気がします。

当本人が一番辛かったりすることもあるのですよね。

 

 

 

 

 

 

このような子供たちの精神医学について、

リエゾンなどコミック他、ドラマや映画なども

普及してきていて、

理解が深まっているのは良いことだと思うのですが・・・。

 

世界的に、社会が大きな変革期を迎えている時期には、

きっと時代の誤差になかなか追いつけないこともあるかと思うのです。

そんな時大事なのは、自分が何者で、

どこを目指しているのか、という軸を見失わないことでした。

 

とはいえ、大きな荒波に揉まれて大変な時代だなと実感しています。

 

 

 

 

私はどこから来たのだろう

自分の性別を、ずっと損だと思っていた。

その考えは無意識に染み付いていて、ずっと私の一部のように離れなかったので、

私という人間は、生まれて来た時にこの思いを一緒に持って来たのか、と

思うほどに、自分に対しての嫌悪感があった。

 

もしかしたら、体と心の性別が、あっていないのかもしれない。

そう思ったこともあったし、そんな揺らいでいる気持ちを、

誰にも確かめたり打ち明けたりすることもせずに、

私はそのうちに、その違和感を忘れてしまうこともあれば、

それに苛まれる日もあった。

 

それでも、自分として在る性は、いつも疎ましかった。

 

男性か、女性かで、

社会や世間というものから縛られる、

親や家族、周囲の人からべきであるという義務を言いつけられて、

それをしていないと悪いことをしていなくても罪悪感にとらわれる、

そんな妙なシステムから抜けたかった。

 

なぜ、それをするのか。

それが、社会という体制の中で生きるためには

便宜上仕方ないことだとしても、

そこに屁理屈じみた建前なんかじゃなくて、

もっと人間臭い、理由や生きることについての

動物以上で在る理由を見出したかったし、知りたかったのだ。

 

だから、自分はいつも、どこからきて、どこに行くのか、

どこへ消えて行くのか、何を見るのか、感じたいのか、

ということに、結構敏感な子供だった気がする。

 

そして今になって思うのは、

生まれて来ちゃいけないような気持ちをずっと、

なぜかごめんなさい、という気持ちを常に持ってしまっていたのは、

母親のお腹にいた頃に聞こえていたものを

無意識に抱えて来てしまった、ということが

ある一瞬でわかってしまった、というか、

私が作り出したのではないということが、感覚で伝わって来た。

 

だから、大好きな人と一緒になることは罪悪感の塊で、

子供を産み育てることは汚いこと、

全て私がすることは悪の権化だというような、なぜかそういう風に

物事を考えるようにシステムはできていたし、

愛というものは全てが幻だから、

与えるより奪え、そうでなければ信じるな、という、

信じたら滅びる家族という一神教の信者であったわたしは、

そこから抜けて独立してもなお、思考の中にいる親

(の声、考え。親からの非難や中傷、ダメ出しなど)

に勝てずに、そうなるまい、と反面教師になるべく生きて来たのが、

いつのまにか、親の人生と人となりに似ている?と振り返って

ハッとすることがあった。

 

離れて暮らしているのに。

会うこともないのに、不思議である。

 

それは、親の項で在るべき、などという考えから

完全に抜けられていない自分が、生きる術としてまだ

親の言いつけを守ってしまっていた、

子供、の自分がいた。

 

自分の人生を生きる、とは、

その親を超えて、さらに進化できるか。

神化できるか。

(自分が神になるという意味ではなく、自分の中に神を見出していく作業という意味)

 

とはいっても、

おそらく私の親は相当変わった部類の人だったので、

小さな頃から

しーちゃん(わたし)のお母さんって、ガイコクジンみたいね。変わってる。

と何度も言われて来た。

 

念のため。

かっこいい、という意味ではありませぬ。

 

当時わたしの母はものすごく、バッサリしていて冷たくて、

度肝を抜くようなことも平気で言ったりしたりするところがあり

学校などでも私は家族関係をひた隠しにしていて、

 

今思うと、親には親の苦労があったことがじんわりと

分かるけれど、子供であった当時は、その社会に溶け込むことに

必死。(完全に浮いていましたが)

 

主題からそれたかな。

 

文頭に書いた違和感から、

その頃のわたしは無意識に、男性の著作を好んで読んでいた。

(少女マンガ以外はですが)

父親がいないうちだったため、男性的な考え方や、

理性的な存在に知らないうちに飢えていたのかもしれない。

そういったものをインストールすることで

自分の中の男性性を埋めていたことも考えられる。

今思うとあの頃読んでいたものが自分の考えの一部を

作っているな〜としみじみ思う。

 

その上強い女性に憧れがあり、

友情とか感動小説よりも、

わざとハードな内容のものを選んで挑戦して読んで

心を強く鍛えなければ、となぜか自分にも手厳しくしてしまっていた。

 

そうなると、本来のしなやかな部分というのは忘れ去られてしまい、

というか、自分でもそんな部分があるとは知らずに、

自分の育てた男性的な方がクローズアップされてしまい

強くあらねばならない、というような重装備人間の出来上がりになってしまった。

 

随分時間が経ち、人生の山や谷を経験してみて、

心理学を学ぶようになってから、

自分にはこんなに深い闇があったのか、

あったと知ってはいたけれど、

長いこと、時速300キロくらいで飛ばしていたから

気がつかずにいたけれど、

自分より人を優先させて来てしまったことで、

自分のことをいかに知らずに来たかと唖然となった。

 

矢印が自分だけに向いていても成長はしないけれど、

自分という地図を持ってなかったらこの世は生きるのに

随分難解になってしまう気がする。

 

7月を迎えて2024年も後半戦に入った。

早いものだ。

こんな時代だけど、でも焦らずに慎重かつ大胆に生きていたいと思う。

それができるのも、今まで支えてくれた人のおかげである。

 

 

映画 グリーンブック

 

私は映画を見るときは断然、字幕派です。

吹き替えは気持ちが入りにくいので、よっぽどでない限りは字幕を好んでいます。

 

今回観た映画、

映画『グリーンブック』(2019年公開)

舞台は1960年代のアメリカ南部。

 

黒人ピアニストのドクター・ドン・シャーリー(マハーシャラ・アリ)と、

その運転手兼ボディガードであるイタリア系アメリカ人のトニー・リップ

(ヴィゴ・モーテンセン)の実話が元になっているストーリーです。

 

実話と聞くとグッとくるシーンがちりばめられているので、

警察との絡みや人の視線や態度、様々なやりとりなど、

当時のアメリカ社会にいかに人種差別やその意識が色濃く残る時代を感じます。

異なる文化と背景を持つ二人の間に

時間と経験の中で芽生える深い絆と友情、

人間の本質的な優しさと強さが描かれています。

 

見た目も性格も対照的な二人のツアートリップを通じて、

たくさんのことを見せ、教えてくれます。

ドクター・シャーリーは、卓越した才能と教養を持ちながらも、

黒人であるが故に一方的な差別やそれによる困難に直面します。

 

一方、トニーは粗野で直情的な性格ですが、

彼の持つ率直さと正義感が次第にドクター・シャーリーとの絆を深めていくのです。

映画のタイトルである「グリーンブック」は、黒人が安全に旅行するためのガイドブックで、このガイドブックが必要だった時代背景を知ることで、

当時の人種差別がどれほど酷いものだったのかを垣間見せてくれました。

 

映画は、偏見と差別に満ちた社会の中で、

二人が互いの違いを乗り越え、尊重し合う姿を描き、

人間関係の複雑さと美しさを見事に表現しています。

 

ピーター・ファレリー監督は、重いテーマを扱いながらも、

トニーとドクター・シャーリーのやり取りを

時に笑いと涙、そしてヒューマニティーを見事に炙り出してくれました。

この旅を通じて、私たちは異なる文化や背景を持つ人々との交流が

いかに重要であるかを学びます。

 

友情と理解の力を信じることの大切さを教えてくれる素晴らしい映画です。

この物語は、現代社会においても決して色あせることのないメッセージを伝えており、

私たちが互いを理解することがどんなに大切なことかを教えてくれています。

 

 

個人的には、マハーシャアリの演技がドンピシャで、

ドンシャーリーの演奏を昔から聞いていたので、最初の演奏しているシーンで

カメラが引いていくのを、そのタッチの再現に、興奮、感動を抑え切れませんでした。

裏話は知らないので、マハーシャアリがミュージシャンの経歴があるのかは

知りませんが、素晴らしかったです。

 

それと、トニーの奥さんとのやりとりが可愛くて

幸せな夫婦像なのがいい味を出していて。

 

音楽が良い映画は、私的にはほぼ絶対当たりなので、大当たりです。

 

号泣しすぎて魂が持ってかれてしまい、

観終わった後、しばらく虚無の状態でした。

 

やっぱり映画はサイコー。

全ての感情を払拭し、知らない世界を見せてくれます。

 

 

グリーンブック(字幕版)

グリーンブック(字幕版)

  • ヴィゴ・モーテンセン
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フランスのチーズ屋

今日は軽く、フランスの食の話題です。

チーズといったら何を思い浮かべますでしょうか?

 

私の場合、小さな頃、家にあったのはプロセスチーズでした。

その頃人生でチーズといえば、

パスタにパラパラかけるパルメザンと、

このプロセスチーズ、さけるチーズ、

人生で何度か口にしたカマンベールチーズ(雪印)

と、ピザに乗っている伸びるチーズ的なものと

ごくごくスーパーで手に入る範囲内のもの、

チェダー、ゴーダチーズに当たる牛の乳をベースにしていて

あっさり目のものかなと思います。

 

フランスでパスタ屋さんにいくと、

最初の頃かなりはまっていたのが

4種のチーズ混合パスタ

フランス語では Quatre Fromages

というのがとても好きでした。

 

4種のチーズが混ざっていてドロドロに溶かしたもの

(書き方が美味しそうじゃないですね)

がパスタに絡めてあるもので、チーズの塩味と

大抵中に混ざっている青カビ系のチーズのピリッとした風味と

香りとコクがたまらなく食欲をそそり、食べた後の満足感も高いです。

(が、カロリーも高めではあります)

 

自分で作ろうとしてもできないのがこのチーズのパスタ。

 

フランスにはチーズの専門店というものがあって、

量り売りしながらチーズを販売しています。

もちろんスーパーでも売っているし、私はもっぱら

スーパーで色々試していましたが、何度か町のチーズ専門店に行き

大人買いしたこともあります。

 

動物性のものを絶っていた時期、一番食べたくなったのは

チーズやバターなどの乳製品でした。

こってりした、舌にまとわりつくような

とろける食感が懐かしくて、ついああいったものが欲しくなってしまう。

当時代価品で間に合わせていましたが、そのくらい、チーズは美味しい。

 

こちらにきてからヤギのミルクを発酵させたブレビ、と言われるものや

水牛乳を発酵させたモッツァレラ、

オレンジ色のチーズ、ミモザなど、

初めての食感に驚きを隠せませんでした。

発酵も●ヶ月(12ヶ月、18ヶ月など熟成期間も様々)と様々な

年齢のチーズが所狭しと並んでいるお店を見ると、見入ってしまいます。

 

さすが食の国、フランスです。

 

日本でいうお漬物のような位置になるのでしょう、

チーズは昔の人はタッパーに入れて暖炉の近くに放置しておくだけで

どんどん勝手に発酵が進んで行くのだそうです。

 

発酵が進む状態を想像するとちょっとこわい気もしますが・・・笑

でも、フレッシュでおいしいのでしょうね!

 

日本では、手作りのお漬物の販売について法律が厳しくなってきているようで、

いぶりがっこがその危機にさらされていると聞きました。

こうした伝統が消えていくのは、

国の文化が危機にさらされていくことと同様なことだと

思っています。

失くしてしまってからでは遅いので日本の発酵食も

大切に受け継いでいきたいことのひとつであります。