異文化と距離感

日本には「空気」「世間」があります。

日本を出てみたら、そう言ったものがないことに気がつきました。

 

それは、日本の社会全体に漂う、読まなければいけない何か。

 

ところで、

日本を離れて一番恋しかったもの。

最初はテレビだったのですが、

中でも、連続ドラマやお笑い番組が見たくてしょうがなかったのです。

 

フランスにいた頃、特にパリは顕著なこと。

その地区ごとに住民のカラー、文化が偏っていて

それがその地区の特徴が何となくあります。

 

インド人街、アフリカ人街、などと呼んでいたりします。

そして、私はアラブ人街に行くと不思議な距離感を感じていました。

 

アラブ系の知人と知り合って思うことは、女性の距離感がとっても近いこと!

私はこの距離感のあまりの近さにカルチャーショックを何度も受けましたが、

腕や肩など、肌が触れることにあまり抵抗を感じないのか、

不可解にも思えることすらありました。

(もしかすると、女性同士の結束が固い文化なのかもしれません。)

 

そんな時、空気を読め、なんて言ったって、

彼らは目を丸くして何のこと?と返ってきそうです。

 

そういう意味で、全体の空気を読むのは、

日本人の特殊技能ともいえそうです。

ただ、外国に行った時は意味がなかったです。

 

郷に入れば郷に従え。

とはいえ、生理的な感覚は一生ものです。

 

文化が変われば人との距離感も変わる。

自分を愛すること=自己愛なのか

フランス人気質ってどんなだと思いますか?

 

ノーブル、アーティスティックでロマンティスト、

おしゃれでちょっとわがまま(笑)、気分屋、

そしてアムール(愛)の国。

 

個人差はありますが、

結構皆、自分のこと好きな人たちなのかと

ずっと思っていました。

 

なぜって、

自己主張は激し目、

ディスカッション好き(コミュニケーションがうまい)、

好きなものは好き!という自分軸と素直さ、

そういうものの集大成な人たちと思っていたからです。

 

日本人の国民的性質を考えてみると

まるきり逆です。

 

表現活動をしていると、そういう自分軸って

確かにとっても大切です。

でも、ともすると協調性、自分は飲んで相手に譲る、

そういう精神は日本人は優れているなって

いつも感じていました。

 

朱に交われば、の言葉のように、

周りにいる人は自分を映す鏡、とすると

フランスに住んでみて、人に対してのコミュニケーションや

距離の取り方、自分の出し方が

以前とは変わったと感じることがよくあります。

 

自信たっぷりに見えるフランス人(特に女性)ですが、

内面はそのギャップを抱える人も少なくないという

印象を持つようになったのはだいぶ経ってからでした。

 

カップルの中でも、女性が主導権を握ることが多く、

平等を意識、謳歌していくという関係性をよく見てきたからか、

女性の押しが強め、男性はそれをうまくバランスとっていく、

のがより心地よいカップルバランスなのかと。

 

アムールの国でもあるフランスは、離婚率も高く、

また再婚率やステップファミリーも少なくありません。

 

幸せの形が多様で人それぞれなのは悪いことではないですし、

不幸せな環境に身を置いていることより、自分の将来を前向きに

考えていくために必要不可欠なときもあります。

必要なときはするべきだし、女性が経済的に自立していられるのは

それができる社会環境が日本より整っていることは

日常的に感じていました。

 

ただ逆に、自己実現が幸せな自己イメージとはイコールではないと

彼女たちの姿をみて感じることもありました。

 

答えはスッキリと出ない問いなのですが、

自分を愛することというのは、日々の積み重ねであり、

まずは自分一人から始めること、ということを、

フランス滞在中に暮らしの中で、

彼女たちの姿を見ながら学ばせてもらったことです。

 

 

【読後ブログ】過去から今を紡ぐ一冊

突然ですが、

私は読むのがはなくないながらも、読書が好きです。

 

最近は電子本が発達して来て、かなりの量をカバーしてきていて便利この上なし。

個人的には読みたい本はハードカバーが多いですが、

やはり紙素材が一番好きです。

 

ジャンルを問わず面白そう、ベストセラーなどを手に取りますが、

小説や心理学系、それと童話(絵本を含む児童、青少年向け含む)などが

結構好きです。恋愛ものや人のストーリー系なども好きかな。

基本的に一人の人に凝るとその人のものを網羅したくなる

オタク精神の持ち主でもありますww

 

今日お勧めする『運転者』喜多川泰著

読後はスッキリ、いい感じで前向きな気持ちになれました。

 

喜多川さんの本はベストセラーも多く

読んだ人もいらっしゃるかもしれませんが、

人生の中で一旦安定を手に入れたと過ごしていた日常に

ずっと放っておいた大事なことが疼き出してきて・・・

そこに切り込んでいく胸のあったまるお話です。

 

タイトルにある通り、

不思議なタクシーの運転手と突然出会った主人公と

その家族の絡みに伴う心境の変化を描いた作品です。

お勧めしたいのは、自分を変えていきたいと思っている人や、

当たり前になっている日常をを深く感じていきたい人、

大事なものを失ってこれからの人生に悩んでいる人、

その他あったかい話を読みたい全ての人です(笑)

 

ファンタジー仕立ての小説的読み物なのですが、

設定や主人公の家族や親に対する気持ちや描き方、人間模様の

変化にグイグイ引き込まれていきました。

 

当たり前にあったことの裏に知られざるエピソードがあり、

ハッと気づいた瞬間、読んでいる私も目から鱗がボロボロ落ちていき・・。

過去と現在が一つになって、未来へ橋渡しされていく。

 

中盤〜後半では涙腺崩壊してしまい

「やめろーこんな展開・・・・感動してしまうやんー」(語彙)

と言いつつ読み進めていました。

そして最後に心がほっこり、回収するような種明かしが・・・。

それも楽しみに読まれたら良いと思います。

 

 

運転者 未来を変える過去からの使者

運転者 未来を変える過去からの使者

  • 作者:喜多川泰
  • ディスカヴァー・トゥエンティワン
Amazon

 

 

日本人女性のしなやかさ

海外に住んでいたときに毎日のように感じることは

「女性が、強い」

ことでした。

 

フランスに住んだことがある私は、

外から見た華やかさと、また、内実や実情のギャップに

タジタジしつつ、女性の強さと美しさに驚きつつも、

我の強さ、という点ではかなり辟易した記憶もあります。

 

日本女性も、時代とともに多くの変化をたどり、

あるいは時代の変化から強いられて来た生活スタイルや人生のチョイス、

自由な面と水面下の見えないところでの葛藤や苦しみも

きっとあることでしょう。

 

私が学んだことを少しだけここでシェアさせてもらいます。

 

外にでて思ったことは、

日本人女性って芯が強くて、しなやかなんだな。

知らないうちに社会の中にある依存心と、

女性性の育ち方がかなり比例しているんだな。

美的センスや繊細さはすごいな。(語彙)

 

などというところでした。

ただ、その反面上に書かれたことは長所でもあり、

同時に短所でもあるわけです。

 

ただ、私のように共学で公立の学校で育って来た人間は

外国人と触れ合うこともほとんどなくて、

日本人のアイデンティティについて考えたことは

それまでありませんでした。

 

日本人女性は素晴らしいんだな。

日本の文化ってすごいんだな。

美しさをたくさん宿している素晴らしい伝統があるんだな。

 

と、同時に、

 

はっきり自分の意見が言えない。(言葉化することの抵抗)

距離感がはっきりしていない。(ノーが言えない)

全体性(私、より、相手)を重んじる。

 

 

などはこちらではほぼありえないことでした。

 

 

 

なんにせよ、女性の我がすごい(笑)

社会システムの中に、女性を応援するものも多く、

はっきり言葉に出すことで、結構自立していける。

それは、よいところとして映りました。

 

例えば、女性だけで食事やカフェに行く。

その中でも

話し上手だったり、話題提供が上手な人

に対して

聞く人、上手に相槌を打つ人、

が割と別れたり、数人いるとその中で

特定の誰かとは仲良いけれど、人が多い時は聞く役。

など見えない役割分担があることが多い、気がします。

(状況によって変動あるかと思いますが、一例として)

 

それに対して、

私!私!

なんなら他の人が喋って居ても同時に喋る。

同じテーブルで二人、三人が同時に話して居て

これ、誰が聞いてるの・・・?

という状況も珍しくはなくて。

 

話を膨らませてドラマティックに楽しく話し上手な人が多いとも言えるし、

自己主張が強い人たち、とも言えるし、

人より自分、があからさまな人たちとも言えます。

(ただ注意なのは↑は自分軸とも違います)

 

でも、逆に、

なんでも言葉にして言えばいいのか。

 

言わずもがな、相手を察したり、相手を思ったり、

なんでも言葉にする、ディスカッションする、

私が、私は〜こうです。これが欲しいです。

と自分を表現することがまず第一。

 

日本では、空気を読む、

読めない、ということが話題になったりしますが、

空気を読むって何?どんなこと?という場面には

こちらではほぼ、出会いませんでした。

 

日本人ってとっても素晴らしい器を持ってる。

ただ、それが生かしきれていないのが、社会システムや

価値観や、その他諸々なのかな、

(残念だな)とも思います。

 

そして私はきっと、日本人らしい、

おとなしい方の人間だったこともあり、

その状況に自分を合わせていき、

自己主張をしていくのはとっても

疲れてしまったのです。

 

日本が嫌だな、と思っていたところが、

逆に離れてみたら、良いところだったんだ、と

肚に落ちたときがありました。

 

日本人(男性もね)って

本当にかっこよくて、謙虚で、いい意味でも真面目で

誠実で、優しさがあるのですよ。

 

 

 

 

日曜日の憂鬱

日曜日の憂鬱。

 

ブラックマンデー、ブルーマンデー、

サザエさん症候群という呼び名もあるそうで。

 

私は小さな頃から日曜日は大嫌いでした。

 

片親育ちの私。

親が在宅している週末の日曜日は特に、

家事をやって家族サービス?したり、

日頃働いてくれている親の心配をしないといけない、のは

私の役割だったから。

そして日曜日になると、

布団に潜り込んで一言も何も喋らない

母親の背中に話しかけることもできずに怖かった記憶が

未だに消せないのです。

 

楽しかった思い出はないけれど。

 

もう何もできなかった子供時代は過去のことなのだから。

 

今の自分はなんだって自由にできる、はずです。

でも思考は結構頑固だし、新しい経験を嫌がります。

 

昨日読み終えた「鏡の法則」の中には

親に感謝していることを内観して書き出すワークがあり、

その場面は感動してしまったので・・・

では私もやってみよう、とノートを広げてみました。

30分以上真っ白のまま気持ちが落ちていって、

何もかけなかった・・・

 

感謝することがないから?

いえ、感謝したいと思っていることは沢山あります。

 

でも、日曜日の憂鬱はずっと消えません。

 

もういいや。

 

憂鬱を消そうって思うから辛いんだわ。

あくる日は日曜日。

 

悪魔の日曜日(笑)

これって世間的にも辛かったりする現象なのだなと思い、

今日自分は何か一つでもしてみようと思います。

 

今日読んだのは、精神科医 水島広子さんの

それでいい。

という本。

今の自分にまさにぴったりでした。

開いて見たらコミック仕立てで

活字を追う気力がなくてもサクサク読めて、

とにかく水島さんのことばが心にじわっと染み込んで来ます。

 

変わらなくていい。

 

そのままでもみんな十分頑張っている。

 

どこかに書いてある、絵空事の幸せや、

隣の芝生を見て比べるのではなくて

等身大の自分を徹底的に受け止めること。

 

やって来たつもりでできていなかった。

 

達成することばかりを追いかけていた私は、

達成しては満足できず壊して、

また新しい何かを追い求めてはまた壊して、

そんなことを無意識に繰り返して来たから、

いつも満足することはなく、幸せを感じることも

達成感も感じられず、

とにかく自分の心の虚構を埋めるように生きていた、

ような気がする。

 

まずは今の自分を受け入れること。

生きてるだけでも儲けもの。

 

今の自分は本を読むことで、その中の人の意識に触れることで

人と繋がり、生きる指針やエネルギーを分けてもらってます。

 

日曜日の憂鬱も、そのうち思い出になっていくと良いな。

ネガティブな日があっていい。

ネガティブな自分でもいい。

まずは自分にかける言葉を変えてみようって

1日過ごしてみる。

 

本当の自分を受け入れて、そこから始まる物語を生きていこう。

 

Take it EASY. 

 

 

ありがとうの効能

ありがとうと1万回唱えると良いことがある。

そんな風に聞いたのはもう10年以上前。

 

ありがとう、ごめんなさい、愛してます、

この言葉を唱えると悪い因縁が消えていく。

正確にはわからなかったけれど、そんなことを聞いて

指を折って、ありがとう、と唱えていたこともあった。

 

今思うと、自分は何て形にとらわれすぎていたんだろう、

中身が伴っていなかった、と思う。

 

ありがとう、と呪文のように唱えていた当時の私には、

何も起こらなかったし、逆に試練が降ってきた、

ように感じることもしばしばあった。

 

なぜ、ありがとうって言っているのに良いことが起こらないのか、

奇跡が起こらないのか。

 

まぁ、他人任せの奇跡など起きても

自分の都合の良いようにしか受け取れなかったような気もするので

あの当時それを魔法のように信じていた自分は

軽薄だったし依存的だったと思う。

 

そこから時間が経って

その意味を再度噛みしめる時がやってきた。

形でありがとう、と唱えるのではなくて、

肚から無数のありがとう、が湧いて出てくるような

感動というか、自分が小さかった、という

器の小ささや偏った見方をしていた価値観がひっくり返って

俯瞰して見られた時、自然に、

 

ごめんなさい、ありがとう。

 

という気持ちになれた。

 

どんだけ時間かかるの、自分。

とそんな自分を見下ろしている悪魔のささやき?

も聞こえてはくるけれど、

これがありがとうってことなのか・・・

私の唱えていたありがとうの、なんと軽薄だったことか、

としばし呆然とするような感覚があった。

 

バカだったな、自分・・・

その境地を知らなかった自分・・・

 

今週読んだ本の中で響いたのが、

 

鏡の法則

 

ベストセラーで噂には聞いていたのだけど、

いわゆるスピリチャルの引き寄せ本と勘違いしていて

ずっと手に取らずにきた一冊。

 

今更ながら、読んでみたら、

目からウロコがボロボロ落ちてきて、

今まで読まなかったことを後悔するほどに感動の嵐・・・。

 

人間関係に悩む全ての人、

悩まずともよくしたい全ての人に

オススメしたい一冊、なのであります。

 

   

愛をもって断る

最近、人間関係学や、心理学の本をよく読んでいて、

自分がいかに断れない人間だったかということを痛感している。

 

以前の私は人の不機嫌に振り回されたり、

人からの気持ちや都合を突きつけられてアップダウンしたり、

とにかく軸のない人間、それが私だった。

今思うと、性格悪いことを

バレないように必死に隠していたんだろうな、と思う。(笑)

 

そうは意識していなかったのだけど、

嫌われることが怖かったのだろうと思う。

自分なりに婉曲に断っているつもりが伝わらなかったり、

断れない性格ということを見越して優しい性格、と

先回りして言われてしまうことも。

 

そして、そう言われると実際はイラッとしてしまう自分もいた。

 

それが変えられてきたのは、人の心理を知り、

自分の空虚さとじっくり向き合うようになってから。

 

あとは自分が尊敬する人たちの話を聞いたり読んだりして

その感覚をインストールしてきたから。

 

今の私は、無理と判断したら断ることに

罪悪感も感じることはない。

(元は罪悪感が酷いもので、

数日いやもっと長く、ずっと悶々と自責してしていた)

 

私のいい人ぶりっ子(笑)はそれはもう、

相当重症だったのだけど、

自分でも自分の本音がわからなくなるほど

拗らせまくっていた。

 

状況がどうであっても、

相手が誰であっても、

礼儀を尽くしつつ、

笑顔で距離感を持てること。

 

それが、愛をもって関わるということだと、

今では確信している。