白黒つけたくなる時

今日、7歳年下の友人と会った。

 

昨年の9月からほぼ半年以上、7ヶ月ぶりだった。時間が経つのは早い。

 

そしてお互いの将来や家族の話をいろいろした。

彼女はイタリアと日本人のダブルの文化を持っていて、

アイデンティティの話や

人生の話をいきなりできる人。

 

私は外見上そうは見られることはないのだけど、

実は負けん気根性がものすごく強くて、

一度言われたことを10年でも覚えているようなところがある。

 

その場では言い返すことができないのだが、

傷つけられたことを持ち越したり、なかなか忘れることができなくて、

そのせいで人間関係を拗らせてしまうこともままあった。

 

よく言う、溜め込むタイプである。

 

我慢してしまうタイプで、と人に言うと、

それは怖いよ、と言われる。

知らないうちに溜め込んで、

ある時容器がいっぱいになった時に許容できなくなってしまい、

切れちゃうでしょう?と言われたりする。

 

そうか、世間からはそんなふうに捉えられるんだな。

 

そう思いつつ、自分が育った環境では、

女性だから。

こうあるべき。自分の意見はいきなり出しちゃダメ。

可愛げがあるように振る舞うべき。

男性に対してはこうあるべき。

女性は勉強に特化しなくていい。でもバカではいけない・・・・

 

など、そんな価値観で育ってきた。

信頼できる大人はいなかった、ので、自力で決め、やることが癖になってしまい、

人に相談したりができなくて、

結果、いわゆる可愛げのある女性ではないと思う。

 

でも、それでいいと思ったことは一度もなくて、

信頼関係は欲しかったし、

仲間も欲しかったし、

パートナーとは平等に話せる関係でありたかったし、

女性だから、という考えと同時に人間として、尊厳を大事にしたかったし・・・

 

と、自分なりに模索はしてきた。(つもり)

けれど、どこを目指したら良いのかわからない状態。

 

でも、実際は難しく、周りの人にも

壁を感じる、

なんでも一人で決めちゃうんだね、

一人で生きていけそう、

思ったより強いんだね・・・

 

などと色々言われてきて、それは二重に自分に鍵をかけた。

どうやったって、この癖からは抜けられないのか・・・

人が離れていくのは避けられないのか・・・

私は信頼関係を築きたいのに、

なぜそうでない関係を作ってしまうんだろう・・・

 

自分から関係性からフェードアウトする時もあった。

あ、もうだめ・・・

なんかつらい・・・

誤解されてんな・・・

この関係重い・・・

あるいは、

嫌われてるな・・・

 

という空気を感じて離れてしまうこともよくある。

 

だから、

幼馴染がいて、実家に帰ると必ず会ってご飯を食べる、とか、

異性だけど、長年の付き合いで、とか、

なんかずっと続いている関係の話を聞くと、

長さだけが重要じゃないし、社会人になれば付き合いは減るのは当然、

と自分に言い聞かせていた。

 

私は負けず嫌いで、身の回りに不平等、と感じる問題が起こると

頭から突っ込んでいく性質を持っていて、

イノシシみたいにまっすぐに問題に突っ込んでいく。(反応的に)

 

自分の問題じゃなくても反応は起こる。

 

幼少期のある経験があって

そこからは社会で起こる不平等は赦さない!とばかりに

ジャッジメントするようになり、

(このプロセスで怒りを感じ)

選択がある時にはマイノリティーで弱気を助けねばならない

というような拙いヒーロー思考があったようで・・・

意識したのはここ数年なのですが。

 

 

長年この行き方をしてきて

人生の途中でうまくいかないことが起き始め、

そこから自分の生き方を見直すようになり、

ジャッジメントや勝ち負け、白黒つけることを

少しずつ手放せるようになってきたところ・・・

けれど、まだまだ先は長くて。

 

 

 

先ほどのその友人とも、

直接ではないけれど人生の複雑深淵な部分の話をしていて、

色々自分の身の振りや周りのことも考えさせられた。

 

広い視野で偏らず見ていくことも大切だし、

自分のルーツに気づいて、何を変えていくか意識していくことも

今意識するべきときだと感じ、向き合う日々、なのである。